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2017年09月09日更新

御茶ノ水~気ままに歩く。東京歴史散歩

江戸時代を機に栄えた東京。今も色濃く残る文化の街をお散歩しませんか? 歩いて感じる東京は、電車から見る風景とは別世界。御茶ノ水駅からはじめる歴史散歩に出発です。

江戸時代を機に栄えた東京。今も色濃く残る文化の街をお散歩しませんか? 歩いて感じる東京は、電車から見る風景とは別世界。御茶ノ水駅からはじめる歴史散歩に出発です。

 

 

◯御茶ノ水の由来
御茶ノ水という土地の由来は、実に明快。1596年に神田付近にあった高林寺(現在は文京区)で突如として水が湧き、その水を将軍のお茶用に提供したことから御茶ノ水という名前が付きました。この付近は谷のような地形をしているために、茗溪(お茶の谷)とも呼ばれていたそうです。

 

◯神田川のはなし
江戸城の防衛の要として重要視された濠(ほり)。人工的に徳川幕府によって整備されたものが多く、御茶ノ水駅の下を流れる神田川も防衛の要としての機能を果たしていました。1620年に開削したこの川は、本郷台地の端を切り裂いて作られました。御茶ノ水駅をでて南側(神保町方面)の土地の高度が低いにも関わらず、わざわざ土地の高度が高い方を人工的に開削したので、大規模な開削作業になったと言われています。

 

 

城の防御を固めるだけの目的であれば、土の高度が低い神保町方面を選んた方が懸命でしたが、船による物流や都市整形のための土の需要や排出など、このルートの開発を選んだ理由は多々ありました。都市計画を重んじた江戸幕府は濠を始めとして、人工的な土地の造成を多く手掛けるのですが、その一つの跡がこの神田川といえるでしょう。

さて、その御茶ノ水駅を聖橋口改札からでて左手の聖橋を渡ると、下に向かう階段があり、ここを下ると、湯島聖堂に入ることができます。

 

 

「生類憐れみの令」で有名な五代将軍 徳川綱吉によって1690年に開かれた湯島聖堂は、1797年に「昌平坂学問所」を開設します。幕府直轄の学問所として儒学や漢学、時代が下ると洋学や医学の教育を行っていきました。この昌平坂学問所は後の東京大学になるのは有名ですが、実は現在のお茶の水女子大学や筑波大学の源流にもなっているところなのです。

 

 

江戸時代から近代までつづいた文教の中心として、現在も学問を志す人々や受験生も多く訪れ、学問成就の絵馬が多く下げられています。

 

 

決して大きくはありませんが、境内は非常に緑が多く、近くに御茶ノ水や秋葉原があるとは思えない落ち着いた静けさがあり、うつろいゆく四季を感じる清々しい場所です。

さて、湯島聖堂の西門を右手に、湯島聖堂前交差点を右手に進むと、大きな鳥居があります。

 

 

鳥居をくぐると色鮮やかな隨神門(ずいしんもん)が見えてきます。

 

 

江戸総鎮守として1300年間の歴史を持つ神田明神です。神田明神の氏子町は北は秋葉原、南は丸の内までで、神田明神は氏子町の範囲の中では随分北の方にあります。実は神田明神はもともと現在の丸の内の将門塚付近(現在の大手町付近)に位置しており、当時は安房神社と呼ばれました。1616年に江戸城天守閣の鬼門の方角(北東)である現在の場所に移動します。氏子町の範囲はおそらく移動前から現在まで変わること無くそのままになっているので、現在の氏子町の範囲が現在の神田明神の随分南側に偏っているということなのでしょう。

 

 

この色鮮やかな随神門は、関東大震災により焼失してしまいましたが、1975年に昭和天皇即位50周年の事業として再建され、1998年に平成の御造替事業で塗り替えられました。随神門の左右に配置されている随神像に使われた木は樹齢500年で、加藤清正(1562〜1611)によって植えられたと言われています。

 

 

随神門をくぐると本殿です。こちらも関東大震災で焼失しましたが、1930年に再建されました。その後、東京大空襲で焼夷弾が落ちているのですが、再建時に鉄筋コンクリート構造を採用したおかげで被害は少なかったと言われています。

 

さて、神田明神を語る上で外せないのが神田祭でしょう。日本三大祭りとも言われており、その賑わいは非常に有名です。神田祭は天下祭とも言われ、もともと神田祭の祭礼の行列が江戸城内を通り、将軍が御上覧するということに由来しています。
神田祭は神幸祭、神輿宮入、例大祭という3つの重要な行事が行われ、よく注目されるのは神輿宮入でしょう。氏子町108から200を超える神輿が神田明神に集結し、一日を通して賑わう盛大な行事です。神幸祭は氏子町のすべて、その道程30km越をめぐる行事です。天下祭の由来である将軍の御上覧はこの神幸祭のルートのうち、現在の日本武道館付近で行われたようです。現在はこの付近を通ることはありませんが、神田明神の旧地である、大手町付近はやはり現在でも通過するようです。

 

 

神田明神の本殿を右手に折れると明神男坂が現れます。秋葉原が近いとあってか、この男坂がアニメの一つの舞台になり、アニメファンがたびたびこの坂を訪れます。男坂・女坂という坂の名称は全国各地に点在しますが、これは、険しい方を男坂、緩やかな方を女坂という意味合いがあり、神田明神にも、あまり知られては居ませんが、女坂も存在します。しかし、本郷台地の急な斜面であるために、女坂という命名が疑わしい急な坂です。気になる方はぜひ女坂と男坂、どちらが厳しいか試しては?

さて、明神男坂を下り、大通り(都道452号線)を左手に進むと、蔵前橋通りが現れます。ここを渡り左手に進むと「アーツ千代田3331」が現れます。

 

 

アーツ千代田3331は千代田区立錬成中学校が神田一橋中学校に吸収合併したことによって閉校したことによってその役目を終えた校舎を改修しできました。現在ではアートギャラリーやカフェ、オフィスが入居し、文化活動の発信拠点として現在は機能しています。名称にある「3331」は江戸一本締めのリズムを表しており、ロゴマークもそれをベースとした意匠となっています。

 

 

様々なイベントも行われており、展覧会を始めワークショップも充実しています。現在進行形の文化を楽しみ、触れる場所として言ってみてはいかがでしょうか?

さて、先ほどそれた大通り(都道452号線)を進み、三組坂下交差点を左手に、三組坂を登り切って右手に行くと神社が現れます。受験生が多く訪れるその神社の名は「湯島天神(湯島天満宮)」です。

 

 

天満宮は菅原道真(すがわらのみちざね:845〜903年)を祭神として祀っている神社のことで、湯島天神もその一つです。幼少の頃から学問に才能を発揮した菅原道真は、死後「天満大自在天神」という神格で祀られ、天神信仰という神道の信仰により全国各地に広まりました。受験生には学問の神様としてよく知られています。湯島天神の創建は458年であったり、1355年だったりとしていますが、いずれにせよ古くから現在の東京の地にあった歴史の長い神社であることは変わりありません。

 

 

境内には撫で牛と呼ばれる「臥牛像」という像があります。牛の頭をなでて自分の頭を撫でると頭が良くなると言われていますが、この牛の像はもともと菅原道真との関わりがつよく、九州の太宰府天満宮の位置も牛が決めたと言われます。

 

 

湯島天神の境内を右手に行くと、ガス灯があります。近くにある掲示によれば、1965年に湯島天神内のすべてのガス灯が撤去されましたが、16年後の1981年にこのガス灯が復元され、都内かつ屋外では唯一のものとなっているようです。

 

 

さてそのガス灯のすぐそばには天神男坂があります。明神男坂と同じように急な石段で、本郷から上野広小路に抜けるための通り道としてよく使われていたようです。

御茶ノ水から約2kmの東京歴史散歩はいかがでしたか? 東京の歴史はまだまだ深く面白いことばかりです。各地にはその史跡を解説してくれているので事前準備なしでも楽しむことができますよ。

今回の散歩のルート

 

写真/一居武

 

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この記事を書いたライター

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