“【お便り募集】文筆家ひとみしょうさんにあなたのお悩み解決してもらいませんか?”にお悩みを送ってくれた方の中から、ピックアップしてひとみしょうさんが解決していきます。
<目次>
〜「まりもさん 35歳」のお悩み〜
こんにちは!いつも楽しく拝読しています。
私は30代になって、やっと恋愛をしたいという気持ちが芽生えました。
きっかけは、ある方と出会い、愛を知ったからです。ずっと人間が嫌いだという捕らわれから逃れられませんでしたが、その方と出会ったことで自分の中にも人を愛したいという気持ちがあったことに気づけました。
そんな中で、1つ年下の男性と知り合い、メールを毎日のようにしてデートも1回しました。初めは積極的にアプローチされ私も心を開いていくうちに、わりと好きだという気持ちを隠さず伝えるようになりました。彼の下ネタにも答えられる範囲で応じました。私はお付き合いしたかったけれど、遠距離を理由にふられました。理由はそれだけでなく、色々と馴れた女性に見られて引かれた部分もあったように感じます。
私は愛を知るきっかけになった方以外にお付き合いしたこともなかったので、馴れた女性に見られたことが心外でショックでした。
これまでを振り返ってみると、私と同じ年齢前後の人は、興味を持った目で見たり、ちょっかいを出してきても、はっきりと気持ちを伝えてくれる人はいませんでした。どちらかというと10歳以上年上の方からは、そういう目で見られるだけでなく言葉で誘われることもありました。
今までは人が嫌いだという態度が男性を遠ざけていたんだと思っていたのですが、もっと他に理由があったのでは?! と、どうしていいかわからなくなりました。
やっと恋愛をしたいという気持ちになったので、なんとかお付き合いする方を見つけたいです。男性からどのように見られているのか、この文章だけで伝わるかわかりませんが、何かアドバイスがあればよろしくお願いいたします。
〜ひとみしょうさんのお悩み解決コラム〜
まず、「同じ年齢前後の人は、興味を持った目で見たり、ちょっかいを出してきても、はっきりと気持ちを伝えてくれる人はいませんでした。どちらかというと10歳以上年上の方からは、そういう目で見られるだけでなく言葉で誘われることもありました」というのは、あなたが美人さんだからですよ。10個くらい歳が離れないと、男は美人さんに正面から声を掛けられないのです。
「しょうちゃんってチャラいよね~」
ということで、さっそく本題に入ります。
さて、僕は僕なりにマジメに人生を生きているつもりでいるのですが、他人からチャラそうに見えるとよく言われ、そのたびに落ち込んできたので、まりもさんの言っていることがなんとなく理解できます。
「人生とは?」とか「愛とは?」なんてことを大真面目に考え、今では大学で哲学を勉強しているにもかかわらず、「しょうちゃんってチャラいよね~」とか「ほんとチャラすぎてイヤになるわ」とかと人に言われるたびに、ホント死にたい気分になったものです。
が、最近では、マジメに哲学する自分も、チャラい自分も、両方とも自分なのだと思えるようになってきて、チャラそうと言われてもべつになんとも思わなくなりました。むしろ、人間関係の入り口においてチャラそうな雰囲気を醸し出しておいた方が、相手がとっつきやすくなっていいのではないか? と思えるようになりました。
答えその1:相対的なことだから気にしなくていいです
そもそも、自分のことを相手がどう見るかというのは、自分と相手との関係によることですよね。つまり相対的なことであって、絶対的なことではないですよね。だから、「馴れた女性(つまり遊んでそうな女性ってことですよね?)」に見られたくないということであれば、チャラいのばっかりがいる集団に行くと、相対的に、まりもさんは遊んでそうに見られない、ということになるのかもしれないと考えます。
あるいは、人のことを馴れてそうか馴れてそうではないか、という基準で見ない集団に行くと、何か別の基準で人に見られるのだろうなあと思います。
いずれにせよ、自分が相手にどう見られているのか、というのは、他者との関係の問題なので、つねに相対的なことだし、自分のことを評価する相手が変われば、ガラッと変わってくるということで、そう気にすることではない、というのが、今現在の僕の思いです。
もっと簡単にいえば、冒頭に書いたように、男は美人さんを見たら「男なれしてそう」「遊んでそう」と自動的に思うという習性があるので、そんなの気にすることはない、と言えます。
答えその2:あなたは自分が気づかないうちに生まれ変わったのだ
答えその2は、一般論として述べます。
一般的には、自己評価より他人の評価の方が当たっている、なんて言われますね。自分で自分のことを「私は恋愛なれしていない女だ」と思っていても、実際には周囲の人が言うように「じつは恋愛なれしている女」だったりするわけですよ。不思議と、他人の評価って、的を得ているところがあるんですね。
なので、人間嫌いだった自分はすでに過去の自分であり、じつはまりもさんは、人間大好きな女性――引いては男好きしそうな豊かな好奇心と生命力あふれる女性だ、ということかもしれないと思います。
人間嫌いだった過去の自分が、頭の中でずっと支配的ゆえ、「自分=人間嫌いのカタブツ女」という自己評価があるのは、なんとなく理解できます。過去のイヤだった自分とか、過去の大変だった自分って、脳内で大きく生き続けているから。
でも、時は前に流れたのです。ある日突然、まりもさんは、自分でも気づかないうちに、人間大好きな好奇心旺盛なステキさがあふれる女性に生まれ変わったのです。
と考えてみるというのって、僕にとってはわりと素直な思考だし、ステキなことだと思わないですか?
今日の自分は昨日とはちがう自分でありたい
僕は今、昨日の自分をたえず更新したいと思って暮らしています。他人が僕にチャラそうなイメージを抱こうが、自分で自分のことを哲学が大好きなマジメ人間だと思おうが、そういうのはすべて「昨日までの自分」であるとして、今日の自分は昨日とはちがう自分でありたいと思っています。つまり、日々勉強し、日々なんらかの経験から学びを得たいと思っているのです。
人って、24時間あればガラッと変わることができると知った日から、僕はそんなふうに思うようになりました。おそらく、だから、他人が僕にどのような印象を抱こうと、さして気にならないのだと思います。
今まで人間嫌いだったわたしは、自分のことを「馴れている女」として見てくる人のことが好きじゃなかった。でも、そういう見方をしてくる人に対しても、寛容な気持ちで接することができるようになった――この域まで達すると、真の人間好きでしょう。
人は人を好きになるために生きていると僕は思っています。すべての苦行は、人を好きになるためのレッスンだと僕は考えています。
お互いに、もっと人を好きになれるように、努力しようではありませんか。
(ひとみしょう/作家)
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