“【お便り募集】文筆家ひとみしょう お悩み解決” に送っていただいたお便りの中から、お悩みをひとつピックアップしてひとみしょうさんがお答えします。
「林檎さん33歳」のお悩み
はじめまして。
ひとみさんの意見をお聞きしたくてメッセージを送ります。
結婚して3年目になる夫が風俗に行っていたことが発覚しました。
夫婦仲はよくて、デートしたり、毎日のキスやハグ、セックスも月に2、3回あったので、まさかのことでした。
大学生のころに行ったことがあるのは本人から聞いていたのですが、付き合ってからは行っていないと思っていましたし、結婚してからは尚のことです。
夫は謝罪し、二度と行かないと言っていますが。
怒りや不信感などいろいろな感情が沸き起こりましたが、一番大きいのは嫌悪感です。
セックスワーカーに対する嫌悪はないのですが、性風俗に行く男性への嫌悪があります。
それが自分の夫の場合、尚更強いです。
〜ひとみしょうのお悩み解決コラム〜
風俗に行く男性に嫌悪感がある、という女性の気持ちは、なんとなく理解できます。
では、男が、女性に対して嫌悪感を抱くのは、どのような時なのか?という疑問が、ふと浮かんだのですが、たとえば「妻が<今日の出来事>を話しはじめた時」と答えた男性がいます。
――ああ、また、オチのない話が始まった。また<誰がどうで>とか、他人のことを言いだした――その男性は、こう思って、胃のあたりがきゅ~っと痛くなるんだそうです。
さて、ここでは、嫌悪感という感情を少し冷静に分析してみたいと思います。
男が風俗に行く理由
男が風俗に行く理由は、なんとなく淋しいからです。
ふつうに結婚生活を営んでいても「なんか」淋しい。妻がどうということではないのだけど「なんか」淋しい。ふつうに仕事をしていても「なんか」満たされないものがある。上司がどうとか仕事内容がどうということではなく、「なんか漠然と」淋しい。
そのような「なんか」淋しい気持ちが、男を風俗に向かわせます。
と言えば、「女性だって<なんか>淋しい時がある」と反論したくもなると思います。
たしかに、女性にも「なんか」淋しい時ってありますね。
そういう時、女性は、たとえば、「パリピ」を演じてみたり、甘いものを食べたり、韓国のドラマや歌を聴いたりしているのではないでしょうか?
以前、テレビで、渋谷のハロウィンの「パリピ」がインタビューに応えていました。彼女は「ホントは結婚して平凡な家庭を築きたい。でも<なんか>パリピみたいにコスプレしてセンター街に行ってしまう。ホントは行きたくないのに。わたし、なんか淋しいんだよね」と言っていました。
なるほど、人は男女の性差に関係なく、なんとなく淋しいと思えば、「代替行為」をしてしまう生き物なのだなと思いました。
なんとなく淋しいとなぜ風俗に行く?
ところで、なんとなく淋しい男性は、どうして風俗に行くのでしょうか?
なんとなく淋しいからクラシック音楽を聴く、というのではダメなのでしょうか?
答えは「もうひとりの自分=そうであったかもしれない自分」を愛でたいから、です。
言い方を換えれば、風俗に行く男性の中には「淋しい自分」がいて、その「淋しい自分」を、この世でそのまま体現しているのが「風俗嬢」だということです。
風俗嬢は「お金のために働いている」などとよく言われますが、その「よそゆきの」言い方の奥には、じつは「なんか淋しい」という気持ちがあります。
私たちは「わたし、淋しいんだよね」と言うことを極度に恥ずかしがるから、インタビューにおいて「わたしは淋しい」とは言いません。自分が生まれ育った家庭環境ゆえ、風俗に「流れ着いた」とか、今シングルマザーでお金が必要だから、などと「誰が聞いても納得する」答えを言います。
しかし、その心の奥は淋しいのです。ご本人も気づいていないかもしれませんが(気づいていない人は多いです)、風俗で働いている人は、じつは、なんとなく淋しいという切実な思いを抱いており、今にも精神が瓦解(がかい)しそうな苦しみとともにあるのです。
別の言い方をすれば、風俗嬢も、「パリピ」も、風俗に行く男性も、みな同じなのです。心の中は「なんとなく淋しい」で満ち満ちているのです。
男性はなぜなんとなく淋しい?
なんとなく淋しいというのは、端的に、「自分に」絶望しているということです。
林檎さんの旦那さんは、林檎さんに絶望しているのではなく、自分の人生に絶望しているのです。それが「なんとなく淋しい」のおおもとなのです。
では、旦那さんは、何がそんなに淋しいのでしょうか?
答えは、次の3つのうちのどれかです。
1つ目。「理想とする自分」になれないとあきらめているから。
2つ目。心のどこかに「おれはこんなはずではない!もっと出世できるはずだ!もっと別の<いい>会社がふさわしい男だ」という気持ちがある。すなわち、今の自分に反抗している。
3つ目。自分が自分に絶望しているという「考え方」を知らない、つまり、「なんとなく淋しい」の「なんとなく」を言語化できなくて、人生に拘泥している。
ぼくはキルケゴールという哲学者の研究を専門にしています。キルケゴールは、自分に絶望して、よく風俗に通った、という説があります。そのへんのことは、後世に残したくなかったのか、文献が少ないですが、でもそういう説があります。ちなみに、ベートーヴェンも同じらしいですよ。
男は、自分に絶望したら、「もうひとりの自分=そうであったかもしれない自分」に出会うために風俗に行く――これがぼくの持論です。
これは、性欲の強い女子が、出会い系サイトなんかで「ヤレる男」を物色するのと同じことだと、ぼくは解釈しています。
旦那さんが希望を自家発電できるよう、導いてあげてください。(ひとみしょう/作家・日本自殺予防学会会員)
※参考 キルケゴール・S『死に至る病』鈴木祐丞訳(講談社)2017
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