片思いの人に告白する「勇気がない」とか、LINEする「勇気がない」という言い方を、わたしたちはさんざん耳にしますが、では「勇気」ってなんでしょうか?
勇気が「湧かない」という言い方もあるくらいだから、勇気という名の泉がわたしたちの身体の中のどこかにあるのでしょうか?
今回は、勇気について一緒に見ていきたいと思います。
勇気のメカニズム
勇気が湧く泉なんて、身体のなかのどこを探してもないですよね。
では、勇気って、どこから湧くのでしょうか?
勇気って、じつは「弱さ」から生まれます。
弱さというのは、たとえば、大切なことを前にしたとき、いつもふっと逃げ出してしまうあなたのことです。つかなくてもいい嘘をついついてしまうあなたのことです。他人のことを利用するあなたのことであり、他人にバレないとなにをしてもいいと思っているあなたのことです。
好きな人に告白しようとするとき、そういう「弱い」あなたが、顔をのぞかせます。あなたは「好きな人に弱い自分を見られたくない」と思います。「ずるいわたしを見られたくない」「他人を利用するわたしを彼に知られたくない」と思います。
だからLINEをする手が止まります。告白できなくなります。
つまり、勇気とは、弱い自分を隠そうとするから生まれないのです。反対から言えば、弱い自分を表に出せたとき、勇気はおのずと湧いてくるのです。
「弱さ」ってどうやって「出す」の?
おそらくあなたは、弱い自分を骨身に染みて自覚していると思います。だから「強く」ならないといけないと思っています。
「弱さ」が表にすっと出せない理由はそこにあります。
これまでの世の中は――コロナ禍以前の世の中は――「強く」あるべきだ、という無言の圧力がとても大きい世の中でした。
要領よくお金儲けをする人が「かっこいい人」であり、処世術に長けている人が「あこがれの人」でした。嘘をついて欲しいものをさっと手に入れる利己主義者が「ずるいけどうらやましい」。そういう世の中でしたね。
つまり「弱さ」を、他人に気づかれることなく「うまく隠せる」人が「いい」とされてきました。
しかしわたしたちは、コロナ禍によって、人と会えない膨大な時間を手に入れました。ひとりの時間において、自分と対話するしかない、そういう状況に「投げ入れられ」ました。
自分との対話は、あなたに、あなた自身の弱さを如実に訴えてきます。
あのときの「弱い」自分、あのとき「ずるい」ふるまいをした自分、などなどを、リアルに見せつけてきます。
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