今回は、男が恋愛に冷めてしまうときについて、一緒に見ていきたいと思います。
彼女に冷める、のではなく、恋愛に、冷めるとき、です。
さっそく見ていきましょう。
傷つく人が増えるだけ、と悟ったとき
とくにモテる男は、ある日ある瞬間に「恋愛って、結局は、傷つく人が増えるだけだ」と悟ります。
たとえば、彼女と付き合っているとき、ほかの女子が彼に言い寄ってきます。彼が「ごめん、彼女いるから」と断っても、なお追いかけてきます。もう、彼女と「するしかない」状況が生まれます。彼は「します」。そしたら彼女が傷つきます。しなかったらしなかったで、言い寄ってきた彼女が傷つきます。
最初は「たかが遊びだし、お互いに割り切っているのだからいいだろう」と思っていた彼も、そういうことが続くと、やがて自分が誰かのことを傷つけていることに自覚的になります。
他人の心を傷つける結果しか生まない恋愛はもうたくさん。ああ、さっさと結婚して「恋愛しなくてもいい状況」をつくりたい。彼はこう思うのです。
ちなみに、この場合の「恋愛に冷めた」は「自分が自分で心底嫌になった」と同義です。
女子のことを信用できなくなったとき
とくに若い女子ってきまぐれじゃないですか。
いえ、若い女子に悪気がある、ということではないのです(と思うのです)。
若い女子は若い女子なりに、毎日、気分がジェットコースターのように上がったり下がったりして、そのたびに、自分に精一杯向き合っていると思うんです。
がしかし、男にしてみれば、好きと言われた翌日に「やっぱり嫌い。だからわたしは**君とデートする」とか言われると、男はすごく傷つくのです。女子のことをどこまで信用してもいいのか、わからなくなってくるのです。
あるいは、付き合っている彼女と「明日デート」という前日に、「やっぱ明日会えない、用事ができた」と言われるとか。
彼は当然、彼女とのエッチを期待しています。いえ、なにも、彼は彼女のことを「エッチの道具」としか見ていないわけでは「ないのです」。でも期待しちゃうのです。
その期待を直前に折られた、となれば、彼は「女子のことって、どこまで信用していいのかわからない」と思ってしまうのです。
女子のことをどこまで信用していいのかわからなくなり、やがて「100%は信用できない」との思いにいたったとき、彼は「恋愛はもういいや、誰かと結婚して落ち着きたい」と思うのです。
性愛と純愛の区別がついたとき
性愛と純愛の区別がついたとき、男は妙に達観します。具体的にいえば、「恋愛はたしかに楽しい。でも、してもいいし、しなくてもいい。いい相手がいればしたいけど、いなければ無理に恋愛しなくてもいい」と思います。
簡単にいえば、恋愛というものを、俯瞰で(上から、鳥の目で街を見下ろすように)見てしまうということです。
それは何歳くらいなのか?
歳ではなく、自分の気持ちのなかで、性愛と純愛との区別がしっかりついたころ、というのが、正解にもっとも近い言い方であるように思います。
20歳でも、区別がついている男子はきっといるでしょう。たぶん。
30歳……区別がついている男はきっといるでしょうね。
40代は?物理的に性的な力が減退するので、それなりに「充実した」2、30代を送ってきた人であれば、しっかり区別がついて、オペラやクラシック音楽を趣味とし、たとえばオペラの恋愛劇に感涙するかもしれませんね。ああ椿姫よ、みたいに思うとか。
というのが、男が恋愛に対して冷めるときです。
ちなみに、もしよければ、女性が恋愛に冷めるときってどのようなときなのか、教えていただけませんか?
「わたし、恋愛に興味なくなってきて」という女子の話を小耳にはさむたびに、「いや、いい男は世の中に掃いて捨てるほどいまっせ」と言いたくなるんですけど……。
(ひとみしょう/作家・キルケゴール協会会員)
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